人生が楽しくなった

 人生変わるとか、自分を変えるとか、あり得ないと思っていた。死ななければ、いつか生きていて良かったと思える未来が来るなんて、その場しのぎの嘘だと思っていた。

 それが今、一人で町を歩いていても、とても楽しい。国道を走る車が、素敵なものとして目を引く。赤い郵便局の車、大きなトラック、バイク。青いゴミ収集車もやってきた。そんな色んな車を見かけるだけでも、とても楽しい。違う違う、と思って、湧き上がってくる笑いをこらえる。車が好きなのはたっちゃんで、私じゃなかった。たっちゃんといっしょじゃない時に見たって、しょうがないのに。いつの間にか、たっちゃんの視点が私の中に埋め込まれて、たっちゃんのように何でもない風景を楽しめる心が、私の中にも生まれた。私が2年前に産んだたっちゃんなのに、お母さんを変えてくれたんだね。

 早く家に帰って、たっちゃんの顔が見たい。匂いを嗅ぎたい。日に干したほかほかのお布団みたいな香ばしいたっちゃん。でもうんちをした時だけ、まだオムツだから、うんち臭くなるたっちゃん。子どもを産み落とす、なんていうけど、お母さんは子どもを産み入れたと思うよ。

毒リンゴを食べた後日談

 夫が謝ってきている。出産後から、あるいはもしかしたら妊娠中から、人が変わったように思いやりを失った夫。いや、義母のことはかばい続けたから、私や私の母を攻撃し、子どものことを十分に考えられなくなった夫、と言う方が正確なのか。そして、別居に至っている。その後も一年間、私たちを罵倒するようなラインやメールを送り続けてきた。でも途中から、謝罪の言葉も混じり、それなのにまたひどいことを言い、精神が不安定なのが見て取れた。心療内科で処方されているというバルプロ酸の薬が効いてきたのか、ようやく最近、コンスタントに謝り続けるようになった。

 もし、夫のことを許せたとする。もし、二度とこんなことにならないと、安心できる証拠を得られたとする。それでも、私はどうやって夫との同居生活に戻ればいいのか、もうわからない。別居するにあたって、私は、自分の母との同居を選んだ。働きながら、障害児を、一人で育てていく自信が無かったというか、それよりもバアバのいる環境が子どものために欲しいと思った。

 もちろん、私の母は、夫のことを怒っている。母の性格も考えると、決して許さないだろう。母は自分の人生のいろいろなものを犠牲にして、孫との愛着関係を育んだ。この生活を壊すことは、もうできないと思う。

 散々お世話になってきて、こんな言い方も何だけど、私は毒リンゴを食べたのだ。母親として、夫との家庭から逃げ出して、実家の母のところに子連れで戻るということで。ここは一つ、私ばかりが悩むのではなくて、夫にも責任をとってもらいたいものだ。そんなことができない人だから、こうなったのだろうけど。もし、妻子と再び暮らしたいなら、私の母との関係についても、彼は考えなきゃいけない。