今年だけの夏が終わる

 たっちゃんの朝は早い。まず、5時台に一度起き上がる。お母さんは、なぜだか静かに座るたっちゃんに気づく。眠りながらも、たっちゃんに気づくのだ。ふらふらしてるたっちゃんを支えるべく、それこそこっちが急に起きて脳貧血になりそうながら、抱きかかえる。授乳パジャマを捲っておっぱいを含ませると、たっちゃんはまた寝てくれる。おっぱいしたまま、柔道か何かのように2人くっついたまま横になって、お母さんもまた寝る。次に気づくと、たっちゃんは座っている。今度はもうしっかりと動ける感じ。時計を見れば6時半。お母さんは観念して起き上がる。ぐずぐずしてると、たっちゃんがお母さんの前髪をつかんで引き起こす。それは痛い。

 去年の夏、1歳前のたっちゃんはやっぱり6時過ぎには完全に起きて、離乳食はまだろくに食べなかったから、7時過ぎから散歩に連れていった。お母さんはそれから、たっちゃんを預けて仕事に行った。今年の夏、2歳前のたっちゃんは朝ごはんに小一時間かかることもあって、お母さんは仕事に行く前にたっちゃんの朝の支度を終わらせるのがやっと。去年は朝から散歩に行けてたなんて、親子でよくやったなあと思う。来年、3歳前のたっちゃんは、どんなだろう。

 大きくなって、お母さんは楽になることもあれば、余計手がかかることもある。でもそれは、嬉しい大変さ。たっちゃんがミルクに頼らず、ご飯をしっかり食べるようになって、しかも自分でスプーンを持って食べるとか言い出したりして。他にもいろいろ自分の意見を述べて、イヤイヤなんてするようになったり。

 来年の夏、たっちゃんはどんなふうに手こずらせてくれるんだろう、とお母さんは胸を熱くしながら、今年の夏の終わりを過ごしている。秋の虫の声が聞こえる夜。無邪気なたっちゃんが、布団を敷き詰めた部屋中をころころ転がりながら寝ている夜。

新しい本、懐かしい音楽

 燃え殻さん好きだーと思いながら、たっちゃん(もうすぐ2歳)を育てていて、本をゆっくり読む時間もないし、小沢健二ももちろん大好きだったけど最近聞いてない。やってることと言えば、童謡を大きな声でわざとらしく歌ったり、くだらないコントみたいなやりとりを延々と繰り返したり。しかも、それが楽しい。それで、マインドフルネス。自分の子どもかわいい、そればっかり。

 夜中にふと目が覚めて、横にかわいい寝顔があって幸せ。そんな陳腐な毎日。朝は、子どもに前髪をつかまれて起こされる。まだしゃべれないから、指さしと、ジェスチャーと、実際の行動と、うーうーわーわー言う声で、全てを伝えてくる。小さくて変わった生き物。抱っこすると重いけど、赤ちゃんの匂いと感触にうっとりしちゃう。

 それでもいつまでも、お母さんでいることに耽溺しているのは、たっちゃんにとっても良くないというか、私も一人の人間として研鑽していかないとお母さんとしても良くないと思って、久しぶりに買った本が、燃え殻さんの「ボクたちはみんな大人になれなかった」。10代で村上春樹を読んだ時のように夢中にはなれなかったけど、また新しい本を読んで、好きな音楽を聞いて、お出かけをして、という世界に帰れるような気がした。お母さんになっても、そこが私の世界であることに、変わりはないような気がした。