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お母さんって、呼んでみな

 1歳5か月の男の子、たっちゃん。何やら、もにゃもにゃと、しゃべるようになってきた。いいタイミングで、いい音数で、発音はちょっと不明瞭なのだけれども。「ばあば」と言われたと思い込んでいる私の母は、ほとんど有頂天で、10kgにまで重くなったたっちゃんを、ヘルニアもちの腰で、要求されるがままに抱っこしてくれている。

 初めての言葉をとられた私、お母さんは、それでも嫌な気はしない。何せ、たっちゃんがしゃべったんだし、ばあばが可愛がってくれて、言うことない。ただ、やっぱりフルタイムで仕事してると、なかなかたっちゃんの「はじめて」を手に入れられないなあと、寂しい気分ではある。でも、働かないと、と思ってしまう。本当にそうなの? 今だけくらい、仕事離れた方がいいんじゃないの? いつも逡巡している。

 たっちゃんが元気なら、それでいい。でも母さんは今夜、ちょっと苦しい。比喩じゃなくて、何だか息が苦しい。疲れすぎたかな? ストレス抱えちゃったかな? 早く寝ればいいのに、寝るとたっちゃんのために起きられないような気がして、もう少ししてオムツ替えるまで起きていようと思う。一人で、呼吸を落ち着かせながら。

「発達障害」が治った

 自分には発達障害があてはまると思っていた。母も、私のことを発達障害だと思うに至っていたから、本物だと思っていた。

 子どもを産んで、育児の毎日、それから職場復帰もして、必死だった。気が付くと、私の発達障害は、どこかに飛んで消え去っていた。

 マルチタスクなんて、今では得意とするところ。これができなきゃ子ども見れないし、家事育児終わらない。子どもを連れて買い物に出れば、知らない人ともニコニコと会話。ご近所さんの輪にも入って、何なら郵便局のおじさんとも知り合いになった。私の人付き合いの苦手さ、場の読めなさ、コミュニケーション障害なんて、赤ちゃんのニコニコ笑顔とフリフリお手振りで、全て解決。食べ物へのこだわりも、栄養表示見ないと食べられなかったのも、今じゃ食べられるものを食べられるときにパパッといかないと食いっぱぐれちゃうからどうでも良くなった。いつも同じ服を着ているのは、こだわりでもファッションへの無関心でもなくて、ただ忙しく裕福でないお母さんとして、しょうがないことになった。

 もちろん、本物の発達障害じゃなかったと言う話だ。そして、私と同じような「発達障害」の子どものいない女性が、出産育児を経れば同じようになるという話でもない。

 だけど、一つの事実ではある。思いもかけなかった未来が、そこにあるということ。世界も自分も、変わっていくのだということ。