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赤ちゃんにおまじないをかける

 たっちゃんが入院して、私は付き添いで泊まり込んで、数日とはいえやっと退院した。生まれてすぐにNICUに入院して、一か月健診よりも前に、まさかの0か月でまた入院。おっぱいを飲めなくなってしまって、心臓の調子が悪かったみたい。ダウン症候群で、心臓の壁に穴が空いているから。いくつかの検査をして、点滴もして、その度にあまり泣かないたっちゃんが顔をくしゃくしゃにして泣いて、お母さんは辛かった。0か月で入院して、この子がこの冬を超えるのは大変だな、1歳の誕生日を迎えることが簡単ではないんだなと思って、お母さんはこっそり泣いた。たっちゃんが、こんな可愛らしい赤ちゃんのままで、お空に帰ってしまうことがあってはならない。最期に苦しそうな顔なんかされたらたまらない。

 たっちゃんをこんな体に産んで、と自分を責めたりはしない。これがたっちゃんだから。誰も悪くない。たっちゃんが産まれたことは悪いことじゃないから。福音だから。もし出生前検査を受けていたら、私は21トリソミーの子を育てる自信が持てないという結論に達していただろうから、ぞっとする。危うく可愛いたっちゃんに会えなくなるところだった。そんな気持ちを、実家の母はわかってくれた。私のぼんやりとした感覚以上に、確信をもって同意してくれた。

 私が生きてきた世界では、ダウン症候群をもつ子のような障害をもって生まれることは、ネガティブなできごとだ。もっと言えば、ダウン症候群をもつ人がネガティブな存在とまで捉えられかねない。親が子を看取る悲しみ。あるいは親亡き後に誰がこの子をみるのだろうという嘆き。薄っぺらい幸福観と、貧しい福祉を前提とした世界。そこでは、妊婦は出生前診断を受けて特定の行動を取ることが、生き残るための近道だ。

 たっちゃんは、私との間に全く新しい世界を作ってくれた。どんなに言ったって、従来の現実世界で生き続ける私には、もし次に妊娠したら、特定の行動を取ることを前提に出生前診断を受けるしかできないだろう。だけど、たっちゃんと私の間の小さくて幸せな世界では、そんな矛盾で幸せが壊されたりしない。たっちゃんは子ども嫌いだった祖父を変え、それから祖母の祖父に対する態度を変え、小さな新しい存在にしてどんどん世界を変えていく。

 ミルクを与えながら、「たっちゃんは元気な子だよ」「大きくなれるよ」「心臓だって心配いらないよ」「だってお母さんはいつもたっちゃんに愛を注いでいるから」と囁きを繰り返している。言霊がいるから。