母と子

 一人で生きていけるように、たくさん勉強して資格を取って、学生の頃から一人暮らしもした。それが間違いだったと気づいたのは、同棲してから。人は一人では生きていけないし、一人で生きていこうとするなんて、つまらない。電球の取り換えは、背の高い人に頼めばいい。固い缶の蓋は、握力が強い人に開けてもらうといい。私がキャベツを千切りにするだけで、「すごい。うまそうだなあ」と相好を崩す人がいる。それが家族でなくとも構わない。仕事で感謝しあうのも、もちろん。コンビニでお赤飯のお握りを温めてくれるサービスに、「ありがとうございます」「ちょっと温めると美味しいわよね」の会話。それが一日を、一週間を、意味のあるものにする。

 仕事をしていても、おっぱいを欲しがって泣く赤ちゃんの声や、生理的微笑ではあってもにっこりと儚げな笑顔を思い出して、胸がきゅんとする。というか、おっぱいが張って母乳パッドに染み出る。いつか、赤ちゃんや子どものもつ可愛さが感じられなくなったとしても。問題行動に振り回される日がきても。他人の話ではなく、私の子どもなのだから、そこには感情的なつながりがある。私はこの、どうしようもなく幼気な障害児のために生きていく。

 「あなたはもう、一人ではないのだから」と言って、気づかせてくれた実家の母。ダウン症候群という診断がわかった頃に、産後の混乱の中で泣く私の面倒をみてくれながら、「子どもの前ではけっして泣いてはいけないよ」と言った母。この2つの言葉が、私がこの子と生きていく道標になった。普段は天然なのに、母も苦労したんだろうな、と思った。私はお母さんの子どもだ。私がお母さんになっても。