よく歌い、よく笑う。

2015年10月に生まれた突然変異体(ダウン症)ニャタは育っています

母親の、自分の時間

 育児中に、母親が自分の時間が欲しいというのも憚られるけれど、欲しい。たいしたことをしたいわけじゃない。子どもを置いて、お外に出かけたいというわけでもない。だってまだ、子どもというか0歳の赤ちゃんだし。ただちょっと、ネットニュースを見て世の中に遅れないようにしたいとか、まあそんなんで世の中に遅れるもなにもないのだけれど、昔からの習慣が止められないというか。

 子どもを預けて両親でお食事に出るとかも聞くし、行政レベルでそれをサポートする制度があったりもするけれど、母性を自慢するわけではないけれど、そんな気分にはなれない。子どもは自分の付属物どころか、まだ自分そのものな感じがして、離れがたい。子どもは母親の持ち物ではなくて、別人格として認めなければいけないんだろうけど、まだ、そんな気分にはなれない。お腹の中で10日か月温めて、苦労して産んで、べったりとくっついたまま数か月、全てが寝静まった真夜中にもおっぱいをあげて。たっちゃんは私でしかない。今日も、私のあぐらのなかでなよっと寝転びながらビニール袋をカシャカシャしているたっちゃんを真上から眺めながら、とても自分と別の人間とは思えないな、と思っていた。

 夜中に一度しか起きなくなった、我が家の10か月児たっちゃんが寝静まった後にパソコンを開くのは、まだ許される気がする。夫が洗濯物を畳んでくれていたりすると、分業とはいえ申し訳ない気がするけれど。でもなぜか、休みの日、夫にたっちゃんの相手をしてもらいながら、自分はネットを見る時間が欲しくなってしまう。何か、夫に対する反抗のような気もちな気がする。休みの日に、半分以上が仕事という名の、釣りやバーベキューに職場の人達と行ってしまう夫に対する。たっちゃんには関係のないことなのにね。お父さんに遊んでもらいながら、たっちゃんは、パソコンを見ているお母さんのことを、どう思うんだろう。